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本のない書斎/中身のない研究

「続堕落論」 坂口 安吾

 

おそらく再読だと思う。坂口安吾の「堕落論」は文庫で読んだので、他にも収録作があった。残念ながら「堕落論」はもとより他の作品についても全く覚えていないという体たらくであるので断言はできないが、「続堕落論」はおそらく収録されていたのではないかと想像する。

 

「続」というだけあって、主張に重なる部分が多い。合わせて読むとより理解しやすいと思う。

 

坂口の言う「堕落」とは、人間に帰ることだ。本来の人間に帰ること。しかし落ちきってしまうには人間は弱すぎるとも言う。本当に完全な自由よりは、多少縛られている方が生きるのは簡単なのだ。そうして政治はもろもろの制度をこしらえるが、それは本来の人間にはそぐわない制度であり、いずれ制度に復讐される。制度をつくり、制度を壊すことで人間はすすんでゆくから、「堕落」こそ制度の母体である。楽をしたいと思うから文明が発達する。楽をしたいのが人間の本性であり、人間の堕落こそが文化を生み出すのだ。

 

・・・やはりうまく説明できない。一応理解はしたつもりでいるが、自分の言葉で説明するまでには咀嚼できていないようだ。備忘録として、以下に一部を引用しておく。

 

必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。一里二里は歩けという。五階六階へエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、肉体の勤労にたより、耐乏の精神にたよって今日亡国の悲運をまねいたではないか。ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。

 

人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一条件だ。そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。日本国民諸君、私は諸君に日本人、及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。

 

 

図書カード:続堕落論

 

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