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本のない書斎/中身のない研究

「ヰタ・セクスアリス」 森 鷗外

 

「舞姫」を読むつもりだったが1行目で諦めた。まだまだ読める気がしない。森鴎外の作品をいろいろ開いてみて、意外にもいちばん読みやすく感じられたのが「ヰタ・セクスアリス」であった。はじめの2,3行で引き込まれた。

 

金井しずか君は哲学が職業である。

 哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。文科大学を卒業するときには、外道げどう哲学と Sokrates 前の希臘ギリシャ哲学との比較的研究とかいう題で、余程へんなものを書いたそうだ。それからというものは、なんにも書かない。

 

金井は自分の性欲の歴史を書いてみることにする。作品の大部分はこの作中作である。6歳のときから始まり、21歳まで続く。金井という主人公を置いてはいるが、自身のことではないかと思われる。

 

これ以上の記述に無意義を感じた金井は21歳までで書くのをやめてしまう。これを世間に出すことは、教育界に籍を置く自分の立場ではむつかしい。試しに書いてみて、自分の子供に読ませることができるか検討してみようと考えていたが、読ませたくない。金井は表紙に「VITA SEXUALIS(ラテン語で「性欲的生活」)」と書くと、文庫の中へ投げ込んでしまった。

 

以下の部分が印象的だった。

 

僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する蜥蜴は背に緑の筋を持っている。沙漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicry は自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。

 

「どんな芸術品でも自己弁護でないものは無い」―金井は小説などを読むときにも、作者がどういう心理的状態で書いているかということを面白がっている。小説が作者の自己弁護であるとすれば、「ヰタ・セクスアリス」はまさに鴎外の「性欲的生活」の自己弁護なのであろう。

 

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

 

 

図書カード:ヰタ・セクスアリス

 

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