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本のない書斎/中身のない研究

「刺青」 谷崎 潤一郎

 

人々が美しさを求め見事な刺青を競った時分に、清吉という腕利きの刺青師がいた。清吉は刺青を彫るとき、相手がその痛みに苦しむ姿を喜んだ。

 

この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んで居た。彼が人々の肌を針で突き刺す時、真紅に血を含んで脹れ上る肉のうずきに堪えかねて、大抵の男は苦しき呻き声を発したが、其の呻きごえが激しければ激しい程、彼は不思議に云い難き愉快を感じるのであった。刺青のうちでも殊に痛いと云われる朱刺、ぼかしぼり、―――それを用うる事を彼は殊更喜んだ。一日平均五六百本の針に刺されて、色上げを良くする為め湯へつかって出て来る人は、皆半死半生のていで清吉の足下に打ち倒れたまゝ、暫くは身動きさえも出来なかった。その無残な姿をいつも清吉は冷やかに眺めて、
さぞお痛みでがしょうなあ」
と云いながら、こころよさそうに笑って居る。

 

清吉は気に入った皮膚と骨組みを持つ人でなければ彫らない。彫るとしても、一切の構図は清吉の望むものでなければいけない。元浮世絵師の清吉の要求は高く、加えて上に引用したような嗜虐趣味をも持つ。

 

清吉には、「光輝ある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む」という宿願があった。求める美女は江戸中探しても容易には見つからなかった。4年が過ぎたとき、料理屋で女の白い足を見かけ、これこそ求めていた女であると確信する。

 

丁度四年目の夏のとあるゆうべ、深川の料理屋平清ひらせいの前を通りかゝった時、彼はふと門口に待って居る駕籠の簾のかげから、真っ白な女の素足のこぼれて居るのに気がついた。鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指おやゆびから起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のようなきびすのまる、清洌な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。この足を持つ女こそは、彼が永年ながねんたずねあぐんだ、女の中の女であろうと思われた。

 

顔も知らぬ女への憧れはやがて激しい恋へと変わっていった。ある日清吉のもとを訪れた使いの娘を見ると、あの足を持つ美女であった。清吉は帰ろうとする娘を引き止め、2枚の絵を見せる。それは処刑される男を眺める妃の絵と、桜の幹に身を寄せて、足下に累々とたおれる多くの男たちの屍骸むくろを見つめる女の絵であった。女の瞳には誇りと喜びがあった。「この絵にはお前の心が心が映って居るぞ」と言う清吉に、娘は青褪め、「後生ごしょうだから、早く其の絵をしまって下さい」と言う。

 

清吉は「己がお前を立派な器量の女にしてやる」と言って、麻酔剤で娘を眠らせる。夜が明ける頃、娘の背中には女郎蜘蛛の刺青が八本のあしを伸ばしていた。

 

「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前にまさる女は居ない。お前はもう今迄のような臆病な心は持って居ないのだ。男と云う男は、皆なお前の肥料こやしになるのだ。………」
其の言葉が通じたか、かすかに、糸のような呻き声が女の唇にのぼった。娘は次第々々に知覚を恢復して来た。重く引き入れては、重く引き出す肩息に、蜘蛛の肢は生けるが如く蠕動ぜんどうした。
「苦しかろう。体を蜘蛛が抱きしめて居るのだから」

 

目を覚ました娘は、その前とは全然様子が違っていた。痛みにも耐え、声の調子には鋭い力がこもって居た。清吉の方は、彼の生命のすべてである仕事をなし終えて、心は空虚うつろであった。

 

「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨てゝしまいました。―――お前さんは真先に私の肥料こやしになったんだねえ」
と、女はつるぎのような瞳を輝かした。その耳には凱歌の声がひゞいて居た。
「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」
清吉はこう云った。
女は黙ってうなずいて肌を脱いた。折から朝日が刺青のおもてにさして、女のせなかは燦爛とした。

 

映像化も多くされている作品のよう。金色の光が波打つ部屋で、動かぬ娘の肌に刺青を彫る。やがて夜になり、空がしらじらと明ける頃、娘の背中に魔性の動物が姿を表す。映画にしたらさぞ映えるだろうと思う。

 

日はうらゝかに川面を射て、八畳の座敷は燃えるように照った。水面から反射する光線が、無心に眠る娘の顔や、障子の紙に金色こんじきの波紋を描いてふるえて居た。

 

 眠っている娘を眺める部分では、川端康成の「眠れる美女」を思い出した。

 

彼は今始めて女の妙相みょうそうをしみ/″\味わう事が出来た。その動かぬ顔に相対して、十年百年この一室に静坐するとも、なお飽くことを知るまいと思われた。

 

これが谷崎の処女作とのことだが、「処女作には作家のすべてがある」という言葉を思い出さずにはいられない。嗜虐趣味にフェティシズム、自分の願望のために、娘を薬で眠らせて勝手に刺青を彫るという、ちょっとどうかしている行為、処女作にしてすでに谷崎潤一郎である。

 

刺青

刺青

 

 

図書カード:刺青

 

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