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本のない書斎/中身のない研究

「風博士」 坂口 安吾

 

諸君は、東京市某区某町某番地なる風博士の邸宅を御存じであらう乎? 御存じない。それは大変残念である。そして諸君は偉大なる風博士を御存知であらうか? 御存知ない。それは大変残念である。では偉大なる風博士が自殺したことも御存じないであらうか? ない。嗚乎。

 

冒頭からこの調子で、しかもこれがまだまだ続くのである。なんとも回りくどいのだが、それが独特な調子となって、まだ何の内容も語られないうちから味わいを出している。

 

諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある筈はない。彼は鬘を以て之の隠蔽をなしおるのである。ああこれ実に何たる滑稽! 然り何たる滑稽である。ああ何たる滑稽である。

 

否否否。千辺否。

 

圧倒された。風博士に蛸博士。どこまで本気なのかと思っていたが、「ああ三度冷静なること扇風機の如き諸君よ」でようやく確信した。これはこういう作品なのだ。

 

文体というのか、語り口が非常に面白いし、リズムというかテンポが良く、とても引き込まれる。「堕落論」を読んだときにもキャッチーだと思ったが、こちらはさらにキャッチーで、ポップですらある。

 

たとへば諸君、頃日余の戸口に Banana の皮を撒布し余の殺害を企てたのも彼の方寸に相違ない。愉快にも余は臀部及び肩胛骨けんこうこつに軽微なる打撲傷を受けしのみにて脳震盪の被害を蒙るにはいたらなかつたのであるが、余の告訴に対し世人は挙げて余を罵倒したのである。

 

すごい。

 

これが傑作である、というよりも、「まだ刀を抜いていない天才」を感じられるのである。この人が本気で書いたものを読んでみたいと思わせる。牧野信一が「風博士」を絶賛したというが、これは才能を見抜く人たちが黙っていないだろう。

 

坂口安吾 (ちくま日本文学全集)

坂口安吾 (ちくま日本文学全集)

 

 

図書カード:風博士

図書カード:風博士

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