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本のない書斎/中身のない研究

「二十七歳」 坂口 安吾

 

 魂や情熱を嘲笑ふことは非常に容易なことなので、私はこの年代に就て回想するのに幾たび迷つたか知れない。

 

矢田津世子に就いて書いてある。

中原中也と知り合ったことや、「三ツほど小説を書いたばかり」で評価されるようになったことが書いてある。

 

私は同人雑誌に「風博士」といふ小説を書いた。散文のファルスで、私はポオの X'ing Paragraph とか Bon Bon などといふ馬鹿バナシを愛読してゐたから、俺も一つ書いてやらうと思つたまでの話で、かういふ馬鹿バナシはボードレエルの訳したポオの仏訳の中にも除外されてゐる程だから、まして一般に通用する筈はない。私は始めから諦めてゐた。たゞ、ボードレエルへの抗議のつもりで、ポオを訳しながら、この種のファルスを除外して、アッシャア家の没落などを大事にしてゐるボードレエルの鑑賞眼をひそかに皮肉る快で満足してゐた。それは当時の私の文学精神で、私は自ら落伍者の文学を信じてゐたのであつた。

 

 中原中也はこの娘にいさゝかオボシメシを持つてゐた。そのときまで、私は中也を全然知らなかつたのだが、彼の方は娘が私に惚れたかどによつて大いに私を咒つてをり、ある日、私が友達と飲んでゐると、ヤイ、アンゴと叫んで、私にとびかゝつた。
 とびかゝつたとはいふものの、実は二三メートル離れてをり、彼は髪ふりみだしてピストンの連続、ストレート、アッパーカット、スヰング、フック、息をきらして影に向つて乱闘してゐる。中也はたぶん本当に私と渡り合つてゐるつもりでゐたのだらう。私がゲラ/\笑ひだしたものだから、キョトンと手をたれて、不思議な目で私を見つめてゐる。こつちへ来て、一緒に飲まないか、とさそふと、キサマはエレイ奴だ、キサマはドイツのヘゲモニーだと、変なことを呟きながら割りこんできて、友達になつた。非常に親密な友達になり、最も中也と飲み歩くやうになつたが、その後中也は娘のことなど嫉く色すらも見せず、要するに彼は娘に惚れてゐたのではなく、私と友達になりたがつてゐたのであり、娘に惚れて私を憎んでゐるやうな形になりたがつてゐたゞけの話であらうと思ふ。
 オイ、お前は一週に何度女にありつくか。オレは二度しかありつけない。二日に一度はありつきたい。貧乏は切ない、と言つて中也は常に嘆いてをり、その女にありつくために、フランス語個人教授の大看板をかゝげたり、けれども弟子はたつた一人、四円だか五円だかの月謝で、月謝を貰ふと一緒に飲みに行つて足がでるので嘆いてをり、三百枚の飜訳料がたつた三十円で嘆いてをり、常に嘆いてゐた。彼は酒を飲む時は、どんなに酔つても必ず何本飲んだか覚えてをり、それはつまり、飲んだあとで遊びに行く金をチョッキリ残すためで、私が有金みんな飲んでしまふと、アンゴ、キサマは何といふムダな飲み方をするのかと言つて、怒つたり、恨んだりするのである。あげくに、お人好しの中島健蔵などへ、ヤイ金をかせ、と脅迫に行くから、健蔵は中也を見ると逃げだす始末であつた。

 

矢田津世子に就いてが一番重要な部分であろうが、どうも中也の「ヤイ、アンゴ」の印象が強くていけない。そのうちまた読もう。

 

私はそのころ牧野信一の家で、長谷川何とかいふ手相、指紋の研究家に手をみられて、君の性格はアマノジャクそのものだ、と言はれた。然し、アマノジャクとは何か。ヒネクレてゐるといふことの外に、アマッタレてゐるといふ意味があると私は思ふ。

 

風と光と二十の私と・いずこへ 他16篇 (岩波文庫)

風と光と二十の私と・いずこへ 他16篇 (岩波文庫)

 

 

図書カード:二十七歳

 

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