Empty Study

本のない書斎/中身のない研究

「神童」 谷崎 潤一郎

 

解説によれば、「異端者の悲しみ」が谷崎の「予が唯一の告白書」とある。しかし「神童」の主人公春之助に、「神童」と呼ばれた谷崎の面影を感じない人がいるだろうか。完全な私小説ではないにしろ、限りなく私小説的であると思って読んでも大きな間違いはないだろう。

 

大人以上に学問に秀で、将来は聖人になりたいと言う春之助。物質的ではなく精神的なものを強く求めた春之助だったが、奉公先の家で物質的な豊かさや美しさに触れ、しだいにその世界に惹かれていく。

 

はじめの方では、春之助があまりに出来すぎるので少し離れた距離から見る感じだったが、奉公に出てからは「神童である」という自意識まで含めて非常に感情移入できるようになっている。

 

印象的だったのは、奉公先へ挨拶に行った春之助が食事の支度を見ているシーンだ。これだけで伝わるものがある。

 

重そうな蒸籠の蓋を開いて、ぱっと湯気の舞い上る底から、何か知らぬが黄色くふっくらとした、饅頭のような形をした暖かそうな食物を取り出して、それを小さい器の中へ移すと、今度はその上へ、どろどろとした半流動物の葛湯のような液体を、手際よく注いで居る。

 

わたしはこの作品に、谷崎潤一郎の「麒麟」という短編を思い出した。「麒麟」は聖人が誘惑に負ける話なのだ。聖人孔子も、美しき悪女や美酒美食、残虐極まる娯楽を前に、聖人たることができなかった。「聖人になりたい」という春之助がこれに重なる。春之助も結局、聖人の道をあきらめ、芸術に向かうのである。

 

己は禅僧のような枯淡な禁欲生活を送るにはあんまり意地が弱過ぎる。あんまり感性が鋭過ぎる。恐らく己は霊魂の不滅を説くよりも、人間の美を歌うために生れて来た男に違いない。

 

「人間の美を歌うために生れて来た男」とはなかなかである。しかし谷崎潤一郎に関して言えば、まさしくその通りであったと言うしかない。 

 

 

アクセスカウンター