Empty Study

本のない書斎/中身のない研究

「世相」 織田 作之助

 

小説と思って読み始めたのだがエッセイだった。 原稿を前に悩むシーンから始まり、過去の様々な回想が語られる。

 

「青春の逆説」の豹一を思わせる、というかほぼ同じようなエピソードがある。

 

――女というものはいやいや男のされるがままになっているものだと思い込んでいた私は、愚か者であった。

 

「青春の逆説」が発売禁止処分を受け、「もう当分自分の好きな大阪の庶民の生活や町の風俗は描けなくなった」とうらぶれていたところ、バーのマダムに聞いた話から「十銭芸者」という作品を書くのだがこちらもやはり発売禁止となる。

 

たまたま自分を訪ねてきた旧友から世相を描こうとするが、それも違うと感じて闇市へ向かう。そこでかつて阿部定事件の記録を見せてくれた料理屋の主人と再会する。誘われるままついて行くと、そこには「十銭芸者」の話をしたマダムがいた。

 

自身放浪的な境遇に育って来た私は、処女作の昔より放浪のただ一色であらゆる作品を塗りつぶして来たが、思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間のすがたと見て、そのすがたをくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間であり、体系や思想を持たぬ自分の感受性を、唯一所に沈潜することによって傷つくことから守ろうとする走馬燈のような時の場所のめまぐるしい変化だけが、阿呆の一つ覚えのねらいであった。だから世相を書くといいながら、私はただ世相をだしにして横堀の放浪を書こうとしていたに過ぎない。横堀はただ私の感受性を借りたくぐつとなって世相の舞台を放浪するのだ、なんだ昔の自分の小説と少しも違わないじゃないかと、私は情なくなった。

 

織田作之助が「無頼」と呼ばれることがあまり腑に落ちていなかったのだが、「世相」を読むとなんとなくわかるような気がした。

 

世相・競馬 (講談社文芸文庫)

世相・競馬 (講談社文芸文庫)

 

 

図書カード:世相

 

アクセスカウンター