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本のない書斎/中身のない研究

「人魚の嘆き」 谷崎 潤一郎

 

谷崎のフットフェティシズムは有名だが、わたしに若しもフェティッシュというものがあるとすればそれは人魚である。実在しない対象へのフェティシズムというのは可笑しいかもしれないが、わたしにとって人魚というものは、幼少期から始まって今に至ってもなお特別なモチーフなのである。

 

もちろん人魚であれば何でも良いわけではない。美しくなければいけない。ただ単に美人だというのでなく、憧れよりは畏怖を感じさせる存在であること。

 

アンダーウォーターというフェティシズムもあるようだが、おそらく水というものが深く関係している。水の中という絶対的断絶。艶めかしい躯体、妖しく濡れた皮膚、鱗の燐光、透き通る臓物、揺蕩うひれ、わたしは幼少期より水中の生き物に言いようのない畏怖を感じていた。美しい生き物には特に。

 

人魚が描かれる作品というのはそれだけで心惹かれるものであるが、反面、期待したような人魚でない場合が多いので気になりつつもあまり手に取ることはない。

 

「人魚の嘆き」に描かれる人魚はこれまで見た中で一番わたしを満足させるものであった。

 

彼の女は、うつくしい玻璃製の水甕の裡に幽閉せられて、鱗を生やした下半部を、蛇体のようにうねうねとガラスの壁へ吸い着かせながら、今しも突然、人間の住む明るみへ曝されたのを恥ずるが如く、項を乳房の上に伏せて、腕を背後の腰の辺に組んだまま、さも切なげに据わっているのでした。

 

妖しく艶かしく、重厚で、身も凍るほどに冷たく、恐ろしいのにいつまでも見ていたい。単に美しいのでも恐ろしいのでもなく、わたしにとって、「畏怖」ということを感じさせるのが重要なのだ。この人魚が「うつくしい玻璃製の水甕」に「幽閉せられて」いるというのが戦慄するほど美しい。

 

むかしむかし、まだ愛親覚羅氏の王朝が、六月の牡丹のように栄え耀いていた時分、

 

「刺青」を彷彿とさせる冒頭。南京の貴公子は、富と美貌と才能に恵まれ、何不自由なく暮らしている。美酒にも美女にも飽きてしまい、刺激を求めていると、一人の西洋人の商人が人魚を売りに来る。貴公子はすぐに人魚を手に入れ、その美しさに魅せられる。

 

谷崎らしく、人魚の肌がいかに白く美しいか書かれている。人魚は、南京の貴公子が未だ見ぬ「西洋の美」を表しているのかもしれない。

 

この作品には挿絵があるのだが、これが一層世界観を濃厚にしていて良い。

 

 

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