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本のない書斎/中身のない研究

「安吾巷談 02 天光光女史の場合」 坂口 安吾

 

政党を異にするものの結婚生活が成立するか。

 

ここで問題になっている具体的な案件についてはよくわからないが、おそらく当時の時事ネタ(というかゴシップ)なのであろう。

 

私は恋愛だとか結婚というものを処世の具に用いることを必ずしも悪いとは思わない。なぜなら、どんな熱烈な恋心でも、決して永遠のものでは有り得ないからだ。恋心は必ずさめる。きまりきっているのだ。もしも人間が自分の情熱に忠実でなければならないとすれば、なんべん恋愛し、なんべん離婚し、結婚しても、追いつきはしない。結婚などゝいうものは、その出発の時はとにかくとして、あとは約束事であり、世間並のものであり、諦めの世界でもある。だから、結婚を処世の具に用いるぐらい、当然なことでもある。

 

ボクら文士の場合、文士というものは、徒党的に一括することのできないものだ。一人一人立場が違う。しかし、結婚生活は不可能ではない。
 文士二人結婚して、作風を似せ合うということもない。

 

結婚生活というものは、屁理窟の世界ではないのである。思想が違うから、とか、人種が違うから、とか、そういう一般論では割りきれないもので、男女二人の関係は、いつの世に限らず、男女二人だけの独特の世界だ。各人の個性と個性によって均衡を保つか破れるかする世界で、つまり二人だけで独特の世界を生ずるもの、決して公式によって割りだすことができない。だいたい男女関係が公式で算定できるなら、万事占師にまかせてよろしく、小説家など存在する必要はないのである。

 

恋愛とは、こういうものだ。
 あとで失敗してもかまわないものだ。帝位を投げうとうが、妻子亭主をなげうとうが、それ自身ヒタムキであれば救われる。少数の道学者はとにかくとして、多くの凡人はこれに対して決して不快を感ぜず、むしろそのヒタムキの故に、敬愛の念を寄せてくれるものである。

 

安吾巷談

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図書カード:安吾巷談

 

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