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本のない書斎/中身のない研究

「安吾巷談 05 湯の町エレジー」 坂口 安吾

 

温泉街の、憎めない盗人。

 

およそ犯罪者につきものの、残忍さや卑怯さといったものとは違い、鮮やかな手口はむしろ痛快ですらある。

捕まったあと、差し入れにも手をつけず(おどろくべきことに、この盗人にはたくさんの差し入れがあるのである)何も口にしないことからハンストをしているのだと思われていたが、実は衰弱による保釈を狙ってのことであった。

 

温泉荒しのハンスト先生の手口も、どうにも憎みきれないところがある。その独創的な工夫に対して若干の敬意を払わずにはいられないし、風の如くに去来する妙味に至ってはいさゝか爽快を覚えるのである。

 

私は探偵小説を愛読することによって思い至ったのであるが、人間には、騙されたい、という本能があるようだ。騙される快感があるのである。我々が手品を愛すのもその本能であり、ヘタな手品に反撥するのもその本能だ。つまり、巧妙に、完璧に、だまされたいのである。

 

 私がハンスト先生に憎悪の念がもてない理由の一つには、温泉町の特性から来ているものがある。ドテラの着流しで夜の街をゾロゾロ歩いている温泉客というものは、銀座の酔ッ払いとは違っている。
 二人は同じ人かも知れないが、銀座で酔ッ払っている時と、ドテラの着流しで温泉街を歩いている時は、人種が違うのである。温泉客というものには個性がない。銀座の酔っ払いは女を見るに恋人という考えを忘れていないが、温泉客は十把一とからげにパンパンがあるばかりで、恋人を探すような誠意はない。完全に生活圏を出外れて、一種の痴呆状態であり、無誠意の状態でもある。生活圏内の人間から盗みをするのは気の毒であるが、生活圏外の人間から盗みをするのは気の毒ではないような感情が、温泉地に住んでいると、生れてくるようである。

 

たとえばルパン三世が大富豪のお宝を鮮やかに盗み出すというのはこれに近いのかもしれない。犯罪には違いないのであるが、たいていの人にとって生活圏外の話であり、同情するどころかかえって痛快なのだ。

 

安吾巷談・安吾人生案内 全20巻合本版

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図書カード:安吾巷談

 

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