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本のない書斎/中身のない研究

大胆にして上品なクラシック【アクロイド殺し】ネタバレ感想

 

アガサ・クリスティといえばミステリ好きでなくとも知っている超有名作家。「そして誰もいなくなった」や「オリエント急行殺人事件」などの作品も、「読んだことはないがタイトルは知っている」という方は多いだろう。わたしもそのひとりであり、アガサ・クリスティのミステリを読むのはこれが初めてである。(「春にして君を離れ」は読んだが、これはミステリではない。しかしこれも素晴らしい作品である)

 

 

「アクロイド殺し」は知らなかったが、叙述トリックの作品として高く評価されていることを知って読むことにした。有名すぎて、読む前から内容を知っている、という方も少なくないようだ。わたしは非常に幸運だったといえよう。何も知らずにこの作品を読むことができたのだから(かのエルキュール・ポアロのシリーズであることさえ知らなかったのだ。さらに言えば、わたしにとってのポアロは、毛利小五郎探偵事務所の下の階にある喫茶店名の元ネタ、という程度の認識であった)。「十角館の殺人」に出てきた「灰色の脳細胞」という言葉は、きっと何かのオマージュだろうと思っていたが、これはポアロの常套句だったようである。

 

この作品がフェアかアンフェアか、というのはファンの間ではひとつの論争なのだそうだ。なにはともあれ、そのような論争を読む前に、まずはまっさらな頭で作品を楽しむのが良いと思う。

 

感想

 

犯人は語り手、ワトスン役と思われたシェパードである。物語は実はすべて「シェパードの手記」であったため、肝心なことが書かれていなかったのだ。びっくり、衝撃、というよりは、あくまで上品、上質な印象を受けた。「ひとことでどんでん返し」系ではなく、徐々に「そういうことか・・・!」とわかってくる作品。あまりにもなめらかなので、衝撃は少ないのだ。

 

ポアロが容疑者を集めるシーンでは、「犯人はあなたです!」なんてやるのかと思ったが、そうではなかった。解散したあと、シェパードには残ってもらい、そこで真実を明らかにするのである。全員の前で謎解きを披露するよりも、1対1のほうが高度な頭脳戦という感じで良い。 

 

これは私個人の問題なのであるが、海外の作品はどうものめり込めない。文化や価値観の違いもあるし、名前や関係性も把握しきれない。古典ならなおさらである。また、古典ミステリの難しいところは、「文明の利器」がどこまで存在するか? という感覚である。この作品はカバーがダイヤルの写真になっているが、「電話」、そして「ディクタフォン」という、現代の我々にはあまり馴染みのないアイテムが非常に重要である。インターネットやスマートフォンが存在しないことはわかるが、電話、FAX、TVなど、何があって何がないのか、ということは非常にわかりづらい。もちろんこれは作者の落ち度ではない。現在推理小説を書く人が、この時代はスマートフォンが広く普及していますが、どこでもドアはまだ実現されていません、なんてわざわざ書いたりしないだろう。まあ、電話やディクタフォンなどは、壮大な叙述トリックに比べたらたいして問題ではないのかもしれないが。 

 

ところで、ポアロが自殺を推奨するような発言をしているのには驚いた。これも文化や価値観の違いなのだろうか? それともエルキュール・ポアロという人物は本当の意味でのハードボイルドなのだろうか?  

 

さいごに。シェパードの姉のキャロラインは噂好きのおばさんであり、通常ならば好意的に見ることが難しい人物なのであるが、彼女が妙に魅力的で、作品に活気を与えている。また、彼女は主要な登場人物の中では嘘をついたり隠し事をしたりしていない唯一の人物でもある。そして彼女は優秀な調査員でもあるのだ。この作品におけるヘイスティングス、ワトスン役は、案外彼女なのかもしれない。

 

深夜の電話に駆けつけたシェパード医師が見たのは、村の名士アクロイド氏の変わり果てた姿。容疑者である氏の甥が行方をくらませ、事件は早くも迷宮入りの様相を呈し始めた。だが、村に越してきた変人が名探偵ポアロと判明し、局面は新たな展開を…驚愕の真相でミステリ界に大きな波紋を投じた名作が新訳で登場。

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