芥川賞受賞作。芥川賞作品を読むなんて綿矢りさと金原ひとみのとき以来だ、なんて思ったがそういえば「火花」も読んだ。
(又吉氏の作品でいちばん好きなのは「東京百景」)
最近はなんだかんだで芥川賞受賞作を読んでいるかもしれない。
大人だって、死ぬとはどういうことなのかなどわからない。単に、わからないでいることに慣れたか、諦めたか、混乱しないでいられるだけだ。
この本は、通夜に集まった親戚たちの群像劇と紹介されていて、是枝監督の「歩いても歩いても」という映画が好きだったことを思い出した。だから読んでみようと思ったのだ。なんてことのない日常、すこしの非日常。小津安二郎の「東京物語」みたいだ。説明には「奇跡の一夜」なんてあるが、ストーリーに派手さはない。
登場人物が多くて混乱するが、家系図を書いて整理しようなどと考えてはいけない。これは混乱したまま読むのが良いのだ。登場人物でさえ、相手のことを誰だかわかっていなかったり、関係を勘違いしていたりする、その「なんとなく」の感じをそのまま味わうのが良い。
感想
「大往生を遂げた男の通夜に親類たちが集まる」のだが、故人との距離感はそれぞれ(というか、故人の話はほとんど出てこない)。遠い親戚や、幼い子どもたちにとってみれば、故人の死に悲しみなどはほとんど感じないのだろう。それでも子どもたちにとってこの集まりはちょっとした非日常で、酒など飲んでは、昔のことを思い出したりする。
通夜はしだいにただの酒盛りへと変わってゆく。
親戚の誰と誰が似ているという、定番の話題を繰り返し、
女たちは宴会の片付けに奔走し、
葬儀屋はプロの仕事をこなす。
生きているものは、食べるし、飲むし、気も遣う。
宴会の片付けをして、お風呂に入って。
生きているものは、生きていかなければいけない。
日常でもなく、かといって非日常というほどでもなく、しかし確かに少しだけ違う、なんだか地に足がつかないような感じ。
「死んでいない者」と「死んで、いない者」の時間。
一方は止まり、一方は前に進み続ける時間。
死んでいない者の時間は、少しだけ後ろに引っ張られながらも、進み続ける。
俗っぽくて現実的、それでいて夢の中のような、なんともいえない浮遊感が全体に漂う一冊。
故人とまだ通じているとされる通夜の夜は、境界が曖昧になるというより、境界を意識する、意識させられる夜なのかもしれない。
ぼんやりとした境界は、かえってその違いをくっきりと浮かびあげてしまうようにも思えた。
秋のある日、大往生を遂げた男の通夜に親類たちが集った。子ども、孫、ひ孫たち30人あまり。一人ひとりが死に思いをはせ、互いを思い、家族の記憶が広がっていく。生の断片が重なり合って永遠の時間が立ち上がる奇跡の一夜。第154回芥川賞受賞。