この有名すぎる作品は6~7年前に読んだものだが、なぜ今更レビューを書くかというと、この本が「叙述トリックのおすすめ作品」に挙げられることが多いからである。この作品が叙述トリックかどうかは意見が分かれるようだ。もちろん、叙述トリック作品であろうとなかろうと、素晴らしい作品であることには間違いない。
わたしは、「叙述トリックとはひとことで衝撃のどんでん返しをすることである」という誤解があるのではないかと思っている。「イニシエーション・ラブ」で叙述トリックというものを知った、という方などは特に、このような定義が無意識のうちに出来上がっているのかもしれない。たしかに叙述トリックの作品にはそういうものがある。しかし叙述トリックがすべてそうであるとは限らない。
叙述トリック作品では、「ハサミ男 」や「イニシエーション・ラブ」、「アヒルと鴨のコインロッカー」などが映画化されているが、本を読んだことがある方であれば、「これをどうやって映像化するんだろう?」という疑問をもつに違ない。
「容疑者Xの献身」は映画化もされているが、映画化にあたってこのような懸念は皆無である。
これは叙述トリックか?
石神は、殺人を犯した靖子をかばうため、翌日に別の殺人を犯して死体をすり替える。
その日は靖子を映画に行かせ、靖子にアリバイを作るのだ。
このトリックはクライマックスまで伏せられている。たしかに「重要な事実が隠されている」のであるが、その隠し方は「画がない」ことを利用したものではないし、「小説ならでは」という方法でもない。だから映像化も余裕でクリア。
もうひとつの殺人、この事実は石神だけが知っていて、靖子も知らない。「知らせていない」から。
犯行日時を曖昧にした点は叙述トリックといえそうだが、「日時をミスリードした」ことをもって「叙述トリック作品である」というのは少し違和感がある。犯行日時が明記されていたとしても、読者は見過ごす可能性が高いし、仮に気が付いたとしてもこのような大胆なトリックはとうてい思いつかないだろう。日時を隠されても明かされても、それだけではトリックはわからないし、「そういうことか!」とはならないのだ。
靖子が「どうして事件のあった日ではなくその翌日のことばかり聞くのか不思議に思っていた」という趣旨のことを言う部分で、「実は警察が調べていたのは靖子が殺した死体ではなく、石神がホームレスを殺して用意した別の死体」であることが明らかになる。この部分が衝撃的なので、「どんでん返しの叙述トリック」だと感じる人がいるのかもしれない。しかしこれが「別の死体」であることは、靖子も知らないのだ。たしかに、もうひとつの殺人が行われたということは隠されているのだが、それこそが犯人の用いたトリックであり、犯人しか知らないことであるから、この部分を書かないのはミステリとして当然のことなのである。
「実はもうひとつ別の殺人があった」ということを隠しているという点はかなり特殊であると言える。偽装のための殺人については、「誰が犯人か」以前に、「事件があったこと」すらわからないのだ。
これは読者を騙すための仕掛けではない。石神が警察そして靖子をも騙すためのトリックに、当然のように読者も騙される、ということなのだ。だからこの作品を「叙述トリック」と言われると少し違和感がある。
しかし「実は語り手が犯人で、一部の行動を描写しないことで読者を欺く」という点は「アクロイド殺し」に近いものがあり、 やはり叙述トリックのような気もする。
わたしは東野圭吾氏の作品は初めて読んだが、やはり売れている作家というのはすごいんだな、ということを心から思わされた。煩いことを言ってしまったが、このような素晴らしい作品には、それこそカテゴライズなんてどうでもいいだろう。
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